二条河原の落書/落首

落首とは、社会風刺の言説を立て札に書いて河原などに立てるもので、平安から江戸時代にかけて流行した。言論の自由がなかったために匿名で、短いものを落首、長いものが落書。

室町時代に七五調88節に書かれ、二条富小路近くの二条河原(現在の二条大橋付近)に掲げられたとされる「二条河原の落書」があり、落首・落書は庶民によるものと言われているが、二条河原の落書については、その内容から作者は教養人と推定される。

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京都市中京区二条通川端東入ル
(地下鉄・京阪三条もしくは京阪・三条駅から5分かからず)
当時の京の状況は、兵乱こそ収まったが、戦後処理が難航し、混沌としていたのである。閉じの状況をよく表しているものに有名な二条河原落首がある。二条河原は新政庁のある二条富小路の近くで、そこに政治をからかう落書が貼り出された。落書は中国の壁新聞と同じようなもので、混乱期、情報が少ないと、伝達や後方の手段として現れる。このころは落首が多数貼り出された。この代表傑作が、この二条河原落首である。
足利尊氏
松崎-洋二著「足利尊氏」